化学者は電子が好きだ。化学現象はすべて電子の振る舞いに支配されているといっても過言ではないからだ。ここでは簡単に電子という素粒子の性質とその運動状態の記述方法、及び運動方程式を解くとどのようなことがわかるのかをまとめた。
電子ってどんなやつ?
現代物理学によると電子は素粒子であり、それ以上内部構造を持たない粒子とされている。電子を特徴付ける量として質量、電荷、スピンがある。
- 質量は、陽子や中性子のそれの約1/1840だ。原子核と比べていかに電子が軽いかわかるだろう。
- 電荷は、-eだ 。eは電荷の基本単位で電気素量と呼ばれる。電荷をもつため電磁場と相互作用をする。
- スピンは、1/2だ。スピンが半整数をとる粒子はフェルミオンと呼ばれる。スピンは物質の磁気的な性質に関係する 。
とまあ、電子というのは上記のようなやつなのである。ところで、電子には固有の「大きさ」というものはないのかという疑問が湧いてくるが、これはまだよくわかっていないらしい。これまでの実験と理論の両面の結果から、大きさが無い点と考えても何ら不都合は生じないことはいえるようだが。
冒頭で述べたようになぜ化学者が電子のことばかり考えているかというと、詰まるところ化学結合や化学反応は電子の運動状態から説明ができるからなのだ。電子の運動状態を知るためには古典力学とは異なる理論的枠組みが必要となる。それが量子力学であり、それを化学へと応用したものは量子化学とよばれる分野だ。
電子の運動状態の記述
原子・分子中の定常状態の電子の運動の様子は、ミクロの世界の運動方程式である時間に依存しないSchrödinger方程式で記述される。
$$\hat{H}\psi=E\psi\\ \left[-\frac{\hbar^2}{2m}\nabla^2+V\right]\psi=E\psi \tag{1}$$
という形の式だ。この式の形を見ればわかるように非相対論的なエネルギーの式
$$(運動エネルギー)+(ポテンシャルエネルギー)=\frac{p^2}{2m}+V$$
から導かれる。第2周期や第3周期の元素を扱うに当たっては、相対論的効果を無視しても良い近似になるので 、有機化合物の性質を説明するには(1)式で事足りることになる。これを解くことで電子の運動の様子を表す波動関数とエネルギー固有値が得られる。実際に計算機で計算を行う場合、 Hartree–Fock 方程式(Hartree–Fockの方法)や Kohn–Sham方程式(密度汎関数法)と呼ばれる方程式を解くことになる。なお、光の吸収・放出などの時間に依存する事象を記述するには時間に依存する Schrödinger方程式 を用いる必要がある。
$$mr\omega^2=\frac{1}{4\pi\epsilon_{0}}\frac{Ze^2}{r^2}\tag{2}\\
\frac{mv^2}{r}=\frac{1}{4\pi\epsilon_{0}}\frac{Ze^2}{r^2}$$
運動が定常状態になる条件は円周が電子のdeBroglie波長の整数倍となるときだから。
$$2\pi\;r=\frac{nh}{mv} (n=1,2,\cdots)\tag{3}$$
(3)式を\(v\)について解き、(2)式に代入すると、
\begin{eqnarray}
\frac{mn^2\hbar^2}{m^2r^3}&=&\frac{1}{4\pi\epsilon_{0}}\frac{Ze^2}{r^2}\\
\frac{n^2\hbar^2}{m}&=&\frac{Ze^2r}{4\pi\epsilon_{0}}\\
∴ r&=&\frac{4\pi\epsilon_{0}n^2\hbar^2}{mZe^2}(=ボーア半径a_{B})
\end{eqnarray}
したがって、
$$v=\frac{Ze^2}{4\pi\epsilon_{0}n\hbar}=\alpha\;\frac{Zc}{n}$$
\(\alpha\;\approx\frac{1}{137}\)は微細構造定数で、水素原子の1s電子の速度は\(Z=1,n=1\)を代入して、\(\frac{1}{137}c\)となる。一方、金の1s電子は\(Z=79,n=1\)を代入して\(\frac{79}{137}c\approx0.57c\)と光速度の57%にもなる。こうなると相対論的効果は無視できなくなってくる。実際、金のあの黄金色は相対論的効果を考慮しないと説明できない。その場合はDirac方程式を扱う必要がある。
Schrödinger方程式を解くと何がわかるのか?
電子状態計算を行って何がわかるのか説明する。計算によって得られる情報は以下のようなものがある。
- 平衡構造
- 分子軌道のエネルギーと空間的広がり
- 電子密度分布
- 双極子モーメント
- 分極率
平衡構造については、結合長や結合角など構造に関する情報が得られる。計算で得られた構造と結晶構造解析で得られた構造を比較することで実験結果に何らかの解釈を与えることができるかもしれない。
分子軌道のエネルギーと空間分布も得られる。特に重要なのは最高被占軌道(HOMO : Highest Occupied Molecular Orbital)と最低空軌道(LUMO : Lowest Unoccupied Molecular Orbital)が重要になってくる。端的にいうとHOMOエネルギーが高いほど電子供与性が高く、LUMOが低いほど電子受容性が高いといえる。化学反応は電子の授受で理解できるのでHOMOとLUMOのエネルギーからその分子の反応性を理解することができる。エネルギーだけではなく空間的な広がりも重要だ。例えば水分子が塩基として反応する場合、分子同士が衝突した際に、水分子の非共有電子対が占有しているHOMOと反応相手のLUMOが有効な重なりを持つ必要がある。反応相手が立体的に込み入った構造をしていると反応が進行しないことが起こり得る。
一つの化合物の計算結果だけで得れることは多くないかもしれないが、多数の化合物群に関する計算結果を比較したり、実験結果と比較したりすることで有益な情報が得られるかもしれない。実験結果に対して理論的な解釈をあたえることができるのは化学にとって大きな武器になることは間違いないと思う。
まとめ
電子という素粒子の性質とその運動状態の記述方法及び運動方程式を解くとどのようなことがわかるのかをまとめた。あまり深堀りせずに事実を淡々と述べていったが、電子状態計算のことなどもっと詳細にまとめた記事をそのうち書こうと思う。
参考文献、HP等
- 原田義也. 量子化学. 上巻. 第1版, 裳華房, 2007, 462p.
- 友田修司. 基礎量子化学 軌道概念で科学を考える. 初版, 東京大学出版会, 2007, 409p.
- 平尾公彦 監修, 武次哲也 編. すぐできる 量子化学計算 ビギナーズマニュアル. 第4版, 講談社サイエンティフィク, 2009, 230p.
- 東邦大学 理学部化学科HP https://www.toho-u.ac.jp/sci/chem/index.html
- PC CHEM BASICS.COM http://pc-chem-basics.blog.jp/